ガス冷蔵庫からにゃんにゃかにゃーん

猫(飼ってない)とか身の回りのこと

心の平安を選んだ結果

時々ずっと会っていなかった人から連絡があって再会を果たすことがある。私は結構楽しくて、あまりに久々だと多少人見知りをするもののまた近いうちに会えたらいいななんて思ったりするのだけれど、たいていそこで終わる、悲しいことに。また期が熟したら会えると言うことなのかもしれないけれど、普段派遣先で浅はかな人間関係しか持っていないので仕事以外の人間関係が恋しい私としては考えてしまう。もしかして自分はものすごくつまらない人間に成り下がったのか、と。

自分なりに以前と違うところを考えてみた。

社会人になってからストレスで体調が悪いことが多く、人に会う事を避けていた。アレルギーが悪化したり職場に飛び交う薬品が合わずに自律神経失調気味になったりして、倒れはしないものの低空飛行を続けていた。ほとほと暗い人間に成り果てていた。「人に会うことを楽しめる生活」を取り戻すために、ストレスがたまりにくい人間になることが自分にとってどうしても必要だった。だから、これまでのいつだって現状に満足しない、このままでいてたまるかという考えを改めて、あるがままの状況を受け入れて深く考えすぎないように心がけた。がっついた生活からゆるゆるへの切り替えをした結果、環境と思惑とのギャップから来るコンフリクトからそこそこ解放され、派遣社員となり、経済的には苦しいけれど毎日何かに腹を立てているようなことは無くなった。楽しく暮らせるようになった、と思っていたけれど、実は人に会えずにいる間にいろんなアンテナを失うか鈍化させるかしてしまったのかもしれない。

いつも怒ってる、毒を吐いている私を回りは楽しんでいるようでもやっぱり穏やかな方が好まれるのかと思っていた。たぶん一般的にはそうなのだろう。でも私が屈折した生活を送った挙句に手に入れた穏やかさなんてものは受け入れられず、旧友たちはそんな風になった私を物足りなく感じているのだろう。私は「丸くなった」と思っていたのだけれど、客観的に見ると「ガッツが無くなった」のだ、きっと。

最近はすっかり健康面では上っ調子なので、自分らしさという点から見るとガッツを取り戻す努力をしたほうが良いのかもしれない、でもまたストレス満載のつらい日々を覚悟するのは勇気がいるなぁ。