ガス冷蔵庫からにゃんにゃかにゃーん

猫(飼ってない)とか身の回りのこと

介護:母のラストバトル:23日から

最近はむせてばかりであまり話せず、朦朧として話もいまいち通じなかった。
はっきりしているときは私を射るように見て「どういう状況なのか、なぜこうなるのか分からない」といわれていた。
そばにいると話そうとして負担になるような気もしたし、病院に行くのがつらかった。

あんなに苦しませるはずじゃなかった。
母自身が「いっそ・・・」と言って思い直したような顔をしたときには、「死にたい?手伝おうか?」と言おうかと思った。
母の信じる神を、母が死を恐れない理由にできるなら、私が母の死を恐れない理由にできるなら、と尊重してきたが、ここ数日はずっと恨んでいた。やっぱり私の願いなんか聞き入れてくれない。


状況や心情をダンナ君にも誰にも言えないでいた。


23日の深夜1時半、寝ようとしたときに姉から「容態急変」の連絡があって病院へ急行。一番乗りした。
当直の医者から「あと10分という話ではないけれど、明け方くらいまでだと思う」といわれた。


都内在住の母の姉妹、母の子供、母の孫は参集した。
遠方の母の妹には誰も連絡していなかった(疑問1)、23日昼に帰った遠方の子供(私の姉)は始発でとんぼ返り予定。
私の父方の親戚には私から連絡をして、一番上の従姉妹夫婦が来てくれた。


この日の夜は時々呼吸がとまって、空気を求める魚のようにアップアップして、また呼吸を始める、という状況だった。大変辛そうだったけれど「生きたい!」という気持ちが伝わってくるようで応援するのを止められなかった。
孫たちも必死に呼びかけていた。


なこちゃんはこの時点で諦めていて「もういいよ、何で呼びかけるの!」と言っていたが、自分の娘たちが必死におばあちゃんをつなぎとめようとしているのに、なんであんなことをいえるんだろう、自分の母親が必死に生きようとしてるのに何で「生きるのを止めろ」と声を出していえるんだろうと思った(疑問2)
結局、呼びかけなくても母は自分で頑張っていた。


明け方はもうとっくに過ぎた頃には、遠方のじゅんちゃん(姉)を待っているのだとみんな思っていて、それまでつきあおう、という雰囲気だった。
24日10時半ごろ、じゅんちゃんが着いた。
それでもまだ母は頑張っていた。