ガス冷蔵庫からにゃんにゃかにゃーん

猫(飼ってない)とか身の回りのこと

介護:ラストバトル3:別れ

低空安定のまままた朝を迎えた。
丸一昼夜経ったので、7時前にいったんダンナ君と帰宅して交代でシャワー、朝食。
私は食べようとすると胃がきゅーっとなって食べられなかった。

30分して呼吸が弱くなって来たと連絡が来た。
ダンナ君をおいて先にタクシーで急行。
いったん帰宅した叔母たちもとんぼ返り。

病院についたころには血圧が測れなくなりつつあった。


23日から幾度と無く繰り返したが、ベッドの周りをかわるがわる囲んで声をかけたり手を握ったり。


私は絶対に母の顔の横を譲りたくなかったので、棚の脇に体を押し込んで粘っていた。


8:35分、心臓のモニターが運び込まれ、医者が来て死を宣告された。


母の我慢強さに甘えて積極的にかかわってこなかった医者を許せなった。
昨日も外来で出勤していたくせに、呼ぶまで来てくれなかった(疑問4)
せめて「頑張った」と褒めて欲しかった。だから「褒めてあげてください」と言った。言わせてやった。


手続きは兄となこちゃんが待ってましたとばかりにはじめたので、私は前から聞いていた母の望み、主張を伝えた。父のときに、我々子供たちの会社の人などが見送ったのがうらやましかったことや、遺影を預かっていることなど。

みんなが遺体を追って教会に向かってからまた自宅に戻り、預かっていた遺影用の写真を探し出した。10年以上前に「少し若め」の写真だったので今見るとだいぶ若い。それでも本人の希望だから通らないわけが無いと思っていた、なのに兄となこちゃんは「若すぎる」と反対。去年の私の結婚式のときの写真を使おうと主張。(疑問5)

純ちゃんはなにも反対しないが意見も持っていないので役に立たない。
葬儀屋に見せて「本人の希望」を強調すると乗ってきてくれた「20台の結婚式の写真なわけじゃないし、間違いなくご本人なのですから」と。おかげで兄姉も納得。
これで私の大きな仕事はひとつ終わった。


教会での打ち合わせ後はさっさと兄姉と別れた。お茶をしてダンナ君両親に荷物を渡して見送った。


やっと安心して睡眠が取れた。