ガス冷蔵庫からにゃんにゃかにゃーん

猫(飼ってない)とか身の回りのこと

(備忘録)大地震発生

夕方地震が起きたときは28階のオフィスに居たので、かなり長いこと揺れた。
女子は気分悪くなる人多数。私も同じだったが座っているよりは何かしているほうがましだったので、一通り仕事を済ませて、上司の指示に従って外出している人たちの安否確認をした。

築3年くらいのビルで、役所も入っているので頑丈が売りなのだけど、別の階では天井が一部はがれ、間仕切って作った会議室や更衣室の壁はミシミシいっていた。
エレベーターも止まり電車も止まった。

あと30分くらいで日没、と言う頃に「日没前に歩いて家につける人は帰ってよし」との放送が。
帰れるわけねーだろ、という声が上がる中、30分ではつけない人たちも中には居たが、方向ごとにグループを作って帰っていった。
一番会社に近い、普段なら30分でつくような人も2時間掛かったらしい。なんでも道がすごく混んでいたとか。


無理に帰るな、という政府からのお達しをうけて会社足止めが決定し、一部の人たちが買出しに行ってくれた。28階を降り、荷物を持っての上りは大変だったと思う、みんな汗だくだった。


なぜか大量の酒が購入され、会議室で酒盛り発生、噂の酒癖の悪い人を自分は呑まずに見られたのはラッキーか。
東北や千葉で津波や大火事が起きているのは分かっていたけれども、ビルの窓から見える火事や東京タワーには野次馬になってしまった。

夜中には会社支給の防災キットの保温ブランケットを会議室に敷いて、女性陣だけでまとまって仮眠をとった。
1時間くらいずつ3時間は寝たかと思う頃、震源地が移動して少し大きな揺れを感じ、眼がさえてしまった。
その頃にはエレベーターが復旧していたので、帰る人が出てきた。JRが動いていなかったので、私鉄、メトロである程度家に近づける人が動き出したようだ、JRは8時ごろに動き出すという情報が入り、JR組もほっとした模様。

6時の日の出を待って、自分達は帰った。
夕方歩いても夜中の電車でも帰れたのだけれど、ダンナ君が対策室関連部署なのでそうはいかず、当然わたしも付き合った形。


母が居たら日没前に無理にでも帰っただろうし、心配でいてもたってもいられなかったに違いないけれど、天の配剤か、自分のことだけで済んだ。
「すべてのことには理由がある」と言う人がいるが、そうかもしれないと初めて思った。姑のように「死んでくれた」などという表現は決してしないけれど。
こんな怖い思いをさせなくて済んで本当に良かったと思う。

兄姉の安否はそれぞれ勝手にやってくれと思ったのだけれど、会社にいる間にすることがなくなってしまい、甥姪と北陸に住んでいる純ちゃんに連絡が取れるかチャレンジした。純ちゃんとは電話が通じて全体の確認が取れた。

結局ほかの連中からはその後も一切連絡がない。
メールは会社のエマージェンシーコールも含めすべてが翌朝6時半過ぎに届いた。
緊急時には携帯電話、携帯メールはものの役には立たないことが改めて分かった。