ガス冷蔵庫からにゃんにゃかにゃーん

猫(飼ってない)とか身の回りのこと

分かち合う心

なんか最近タッチパッドが思うように動かなくてイライラするんですけど



宝塚劇場の前のMUJIカフェでご飯を食べていて、オフ会とか同人誌とかは同好の士と好きなものについて語り合うのが醍醐味なのだろうけど、私にはそれが出来ない。という話をした。

好きなものに夢中になって関連本を読んだりはするのだけれど、それを誰かと話し合いたくはないのだ。
劇を観にいった帰りにそのことについて話したりも別にしたくないし、自分の中で思い出になっていればそれでOK。
人にわかってもらいたくて語りかける心があまりない、人の持つ感想にもあまり興味がないので、シティーボーイズを見た後にすぐネットで検索したり、自分で書き残したりもしない。

読んでお分かりのように薄っぺらいし、日付こそ当日だが書いたのは一週間後だ。

観劇オフに行った時も頑張ってみんなの話を興味深く聞いていたつもりなのだけど、シンクロしていなかったので異物を見る眼で見られてしまった。
宝塚をすごく好きになったとしてもあの出待ちの人たちの中には絶対入り込めない自信がある。

中学の頃には気づいていた傾向ではあるけれど、原因について考えたことはない。
「私はこういう人間だから」と思ってきたけれど、最近何がいけないんだろうと考え始めた。
どちらかというとオタク的気質が強いのに「好き」を分かち合えないがためにその気質をベースに人生を楽しむことが出来ないのだ。

人の「好き」のスタイルを否定する気は全くないのだけれど、自分の「好き」を侵されたくないという気持ちは確かにある。
でもそれでも自分の「好き」を強固にしたくて同じ仲間を探すのではないのか?
それをしない(しようとしてもできない)私は何が人と違うのだろうか。